実は、先月が最初に台湾に来てからちょうど丸7年という節目の時期でした。そこで、当時を振り返って「なんで台湾に住むことを選んだのか?」を考えてみました。結論、台湾は「沼」です。
ども!
最近、塩こんぶとお米の美味さに目覚めてしまったマッピー(IG:mappytw)です。
日本の「ご飯のお供」文化って多様でクオリティー高いですよね。
ぶっちゃけ美味しいご飯のお供があれば、料理しなくていいんじゃね?
とかいう怠惰な考えで生きてます。
お米とご飯のお供サイコー!
日本サイコー!
とか言って、台湾に住み続けてるわけですが、今日は私が台湾に来た当初を振り返って「なんで台湾で生活することを選んだか」書いてみます。
語学留学時代のエピソードたちと共に、台湾沼にハマっていく私の過程をご覧ください(笑)
台湾に来た理由
それは、齢18のまだ初々しさが残る専門学校生だった頃の話。
陶芸サークルに参加した私は、台湾人と友達になった。
ぶっちゃけそのころは台湾に関する知識は皆無。
タイなのか台湾なのか?国なのか地域なのか?
みたいな感覚。
その台湾人の友達から台湾の話をきく内に
「なんか台湾面白そうだな」と思い始める。
で、話はぶっ飛びますが
専門学校を辞めて、台湾に語学留学に行くことを決意。
ずっと海外に興味があったので、中国語圏もありだなと思って決めました。
でも、このままじゃ学歴も何もないので、
「あわよくば台湾の大学に行こうかな?」と考え台湾へ!
ちなみに、その台湾人とは今でも家族ぐるみで仲良しの子。
夢に向かって夢中で努力できる子で、いつも元気をくれる存在。
この子と仲良くなれたおかげで台湾の存在を知ったし、優しい子だったのでこんな人がいる国なら何か楽しそうじゃん!と思えた。
2015年3月|台湾に舞い降りた
若干のふらふら期を経て、一人台湾へ!
日本人が少ないという理由で、台中の逢甲大学を選びました。
<当時の私のスペック>
①初台湾
②中国語:レベル0.01
(ニーハオ、シェシェのみ。声調の存在を知らない。)
③英語:若干OK
荷物を送るのも面倒だったので、スーツケース20kg&バックパック10kg、という超ヘビースタイルで台湾に到着。
(このくそ重い荷物を抱えて、台湾の凸凹道を必死に歩いたよ。台湾の歩道の概念どうなってるんや!と思いながら初日から腕バキバキ。死亡。)
事前にほとんど調べてなかったのでスマホのSIMカードも準備しておらず。
スマホがネットに繋がらないので、スクショと地図を片手になんとか頑張った。
1日目は、台北駅近くのホステルに泊まる予定だったので、桃園空港から台北駅へのバスを探す。
紙に「台北駅」と書いてカウンターの圧の強いおばさんに見せて、恐怖しながらバスに乗りました。
日本のバスのように綺麗ではない&異様にカビ臭い車内に「これは、死ぬかもしれない」と思った記憶がある(ビビりすぎw)
バスの車窓から見える、くすんだ景色と騒々しいほどの広告に、ただただ不安を感じていました。
「台湾恐い」からのスタート。
↑1日目に食べた思い出の水煎包!
お金の計算も言葉も分からなかったので、指差して、適当にお金を渡して、お釣りをもらわずに帰ったら店員さんが走ってお釣りを渡しに来てくれました。
台中へ
翌日、台北駅で散々迷って台中行きのバスへ!
(台北駅は一生迷宮ですわ)
予定では、台中に着いたら歩いて語学学校に向かう予定だったんですが、降りる場所を間違え、道行く人々に「エクスキューズミー」を繰り返し、英語がわかる優しいお姉さんに助けてもらいました(笑)
悠遊卡なる存在も知らなかったので、お姉さんが一緒にコンビニに行って買ってくれて、無事ローカルバスに乗れた!
ものすごい恩人。
まあ、そこからも暴走するバスに揺られ30kgの荷物たちを必死で守り、疲弊しながらなんとか大学に到着。
(台湾ローカルバスの初体験が台中だったので、まじで「台湾の交通は死と隣り合わせや!」と思いました。)
ここにたどり着くまでに、いろんな道ゆく台湾人が助けてくれて、「なるほど、これが台湾の人たちなんだ」と国民性に気付くきっかけにもなりました。
英語が話せなくても、私が持ってる地図を頼りに周りの人を巻き込みながら助けてくれた。
外人を助けようとワラワラ人が集まってきてくれるのが、嬉しかったし恥ずかしかった。
台中生活の始まり
無事(?)台中暮らしがスタート!
そこで最初に起こった珍事件たち。
①男子寮に放り込まれた
行ってびっくり!
まさかの男子寮の屋上に取ってつけたような小屋(?)が学校が準備してくれた部屋だったw
(一応、私は女子です)
男子とフロアは違ったけど、女子は4人くらいしかいなかった(全員短期留学の外国人)
男子もいつも不思議そうに見てた。だよね。
②寮の管理人みんな英語が話せない
意思疎通が「ボディーランゲージと筆談」。
これは今思い返すとめちゃくちゃ笑える。
スマホがネットに繋がってなかったので、部屋のwi-fiをどうにかしようとした時の話。
私の「ワイファイ」の発音だと通じなかったので
紙に「Wi-Fi、Internet」って必死に書いた。
それでも通じなかったので、近くにいた学生がどうにかしてくれたw
寮の事務所で、語学学校のお手伝いしてくれる人を待たないといけなかった時も「待」っていう漢字を紙に書いて、ちょっとポカーンとされながら待った思い出。
漢字を書いたメモ帳を片手に、水戸黄門スタイルでみんなに見せつけてたよ。
③ご飯が食べられなかった
めちゃくちゃビビリな私は、ローカル食堂の圧の強い店員さんに圧倒され、お店の敷居をまたぐことができなかった。
唯一入れたお店は「ファミリーマート」。
そこで初めて買った食べ物が「肉鬆飯糰(肉デンプンおにぎり)」
これが私の台湾料理への恐怖心を爆上げし、ここから数日ゼリーしか食べられなかった。
その時は、とりあえず「三角形で米を使ってるもの」であればイケるはずだと思っていて、安易に適当に手に取ったおにぎりを買ってしまった。
当初は、台湾食文化を1ミリも知らなかったので肉デンプンのパサパサ具合と、よく分からん味付けに「なんて食べ物だ!!」と驚愕し、台湾はメシマズなのでは…?という疑惑を抱いた。
しかも、買い物する度に「ニーヤオXXXXXXXXマ?XXXXXXXマ?」など意味の分からない言葉を投げかけられるので、ビビリの私はものすごい恐怖を感じたのでした(笑)
というわけで、温めたりするものは買えず(温めたり、箸もらったりするのどうしたらいいのか分からない)、おにぎりはトラウマで買えず。
残った選択肢として、ゼリーを数日間食べて2kgくらい痩せたw
その後、語学学校の授業が始まってからは、友達に連れられてまともなご飯が食べられるようになりました。
台中で初めて自分でテイクアウトした料理がこちら。
当時は、言葉が分からないので、「何かしらのとろみスープ」と呼んでいました。今になってわかる。これは「香菇肉羹」。
台湾人の知り合いができて、物資が届き始める
そんなこんなで、語学学校の友達に助けられながらプラプラまともな生活が送れるように。
それに、日本で知り合った台湾人の友達のおばさんが台中に住んでいたので、2週に1回フルーツや食料が届けられるように(笑)
姪っ子の友達の世話を焼くってすごくない!?
と思いながら、甘んじてその優しさを受け入れてました。
今でもこのおばさんとは仲良し。
私の中国語力ほぼゼロの時代からいろんな場所に連れて行って、美味しいご飯を食べさせてくれました。
私の中国語力はゼロ、おばさんも英語があまり話せない、という言語のコミュニケーションほぼ不可能の状態で遊びに連れて行くって、メンタル強すぎるぜ。
当時私は、ただひたすらヘラヘラして「シェイシェイ!」言ってた。
毎回、施しを受けるだけ受けて「不思議やなあ〜」と思いながら台湾人の優しさに触れてました。
裏のない、好きだからやってるスタンスのまっすぐな優しさが新鮮だった。
人生で初めて「生のグァバ」もらって記念撮影してるw
言葉が分かり始めた頃
数ヶ月経つと、さすがに幼児レベル(以下)の中国語が話せるように。
現地の言葉が扱えるようになると、緊張やストレスが一気に減少。
レストランも一人で行けるし、ドリンクも買えるし、コンビニでも「你需要袋子嗎?要加熱嗎?(袋いる?温める?)」に答えられるようになった!!
(こういう、分かりやすく自分が成長してる時期って一番楽しいですよね。)
中国語が怒りっぽいと思わなくなったし、けっこう適当でもいけるじゃんっていう余裕ができた。
あと、台湾人は外国人の拙い中国語にも比較的寛容で、頑張って聞き取ってくれようとするのでメンタルやられずにこちらも頑張れた。
しかも、台湾人の「誰に対しても知り合いみたい」に話しかけるキョリの近さにめちゃくちゃ惹かれ始めた。
お互いに「推し量り合わない」感じが楽だなと思った。
日本一時帰国中に気付いた台湾の良さ
ぶっちゃけ、途中までは台湾面白いなーと思いつつも、乱雑な雰囲気が性に合わず、なんであんなに乱暴なんだ!と嫌に思う部分もありました。(今でもあるけどw)
でも、日本に一時帰国して日本の異常な丁寧さや「こうじゃなきゃいけない」という無言の圧力が恐ろしいなと思うようになり、逆にストレスを感じました。
台湾の「スマホいじりながら接客」「世間話しながら接客」に慣れてしまうと、日本で異常に丁寧な接客をされて、逆に私も気を使って「いえいえ、気にしないでください」スタンスになるのが正直めんどくさかった。
時給で働いてるのに、こんなに丁寧に接客して辟易してしまってないだろうか?
って気にしちゃうんですよね。
面倒くさがりなのに、いろいろ気にしちゃうので、日本の気の使い合いは結構疲れた。
そこで、「自分には台湾のゆるさが合ってるんじゃないか?」と認識。
台湾は「まあ、お互い持ちつ持たれつ。お願いしますわ〜」って感じで、あまり気を使わない気楽さと寛容さがある。
関係性がフラットで、敬語もあんまり関係ないし、話し方にそこまで気を使わなくていいのもとても楽。
もちろん、日本の気遣いの文化の良さも分かってるし、全く気が遣えない人とのやりとりの不毛さも分かるんですが、あくまでも個人対個人で人と付き合う場合、台湾の方が自分には合ってるなと思いました。(家庭に入ったりすると別かもしれませんが)
そしてハマった台湾の沼
そう。こうして私は、台湾のゆるさにハマってしまったのです。
ただ、仕事を始めてみて「流石にこんなにゆるくやってらんない!日本のような殺伐とした戦場で頑張った方がいいんじゃないか!」みたいな焦りも少々感じたりしてるんですが、この「台湾ゆる沼」から抜け出せる気がしない(笑)
「なんでやねん!」って思うようなこともありますが
その「なんでやねん!」を結構ストレートに相手に言える。
言わないと伝わらないからってのもあるんですが、読心術使える人間なんてこの世にいないから、察するっていう行為もあくまで憶測だし、言えるし言ってもらえる方が自分には合ってるなと思いました。
他人を慮れる人は確かにすごいですが、それ至上主義だと察し合い合戦みたいな感じで、超超超疲れる。
察して気を使うのも、察されて気を使われるのも、どっちもしんどい。
「これは本音なのか?建前なのか?」「本当のところどっちなんだい!」みたいな思考を巡らせないといけない。
私のような面倒くさがりで、気を使えない人間には難しいのです。
だから、こんな風に台湾のゆるい沼にハマってちょいと抜け出せずにいるのです。
常々思うのは、日本人の責任感のある性格と、台湾人の大雑把な性格を足して2で割った性格が最高なのでは?(笑)
男子寮に住んでた頃が懐かしいねー。笑
私は日本帰国して5年経つけど、今も日本の接客が行き過ぎててウッってくる時あるわ(-_-
ただ今日も現金落としたけど、拾ってくれた人がいた。神。笑
拝読しましたのじゃ。面白かったよ。私が知らない世界で大変なまた貴重な経験したんだね。あっという間に読んじゃったよ。笑ったしね。まだまだ
人生は始まったばかり、やりたい事たくさん経験してもっと成熟した人物になってね。応援してます。
20年前に似たような経験しました。
今はスマホやWi-Fiもあるし、コンビニもかなり日本化してきてますが、やはり初期にきつい思いするのは同じですね。